山形県庄内地方は国内でも有数の農業地帯で、江戸時代には徳川幕府直轄の「直轄領」だったことから、 明治時代には天皇の御料(天領)と呼ばれるようになりました。

 江戸幕府は直轄領であった庄内から「出羽の米(庄内米)」を大坂まで効率よく大量輸送できるように、河村瑞賢に航路開拓を命じます。

 河村瑞賢は、出羽酒田から日本海沿岸を回り瀬戸内海・紀州沖・遠州灘を経て江戸に入る航路、西廻り航路を開拓し、輸送に要する時間と費用を大幅に軽減することに成功しました。

 従来からの東廻り航路に加えて西廻り航路が完成し、大坂は天下の台所として発展し、北前船の発展にも繋がりました。
日和山公園に建つ
河村瑞賢像
 

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 日和山公園には、河村瑞賢と西廻り航路に縁りのある史跡があり、 酒田港の往時の繁栄ぶりを今に伝えています。

庄内空港よりリムジンバス酒田行約20分、「山居倉庫」前下車、徒歩約16分、
観光自転車約9分

※観光自転車は、無料で借りることができます。

詳細はこちら≫酒田観光物産協会公式ホームページ

 
河村瑞賢庫跡
 寛文12年(1672年)正月、瑞賢は手代雲津六郎兵衛を酒田に派遣しました。

 日和山の東西151m、南北96m、14,542uの土地に1,843本の杭をめぐらし、堀や土壘を築いて御城米(おしろまい)置場を完成させました。その間、人足30,398人、亀ヶ崎足軽450人に鶴岡からも100人が動員され、普請奉行も現場に出張するほどの大騒ぎであったといわれています。

 河村瑞賢の庫跡は、公園の西端に高さ2mの記念碑として残されていて、上から見ると『米』の字がかたどられているのがよくわかります。


写真提供:酒田市

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